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サントリー美術館
サントリー美術館
東京都港区赤坂9-7-4 :六本木・東京ミッドタウン ガレリア3階
「東京ミッドタウン」 21世紀の日本を代表する街、世界に類を見ない独創的な街が誕生しました。


Treasures of the Fujita Museum: The Japanese Conception of Beauty

藤田美術館の至宝

国宝 曜変天目茶碗と日本の美

東洋・日本美術の選りすぐりの名品119件を一堂に公開

 明治の実業家・藤田傳三郎氏(1841~1912) は、明治維新後、廃仏毀釈によって仏教美術品が失われる危機を憂慮し、仏像や仏画などの文化財保護に尽力しました。 また、茶の湯を趣味とする数寄者であった氏は、茶道具に対しても卓抜な鑑識眼をもち、「交趾大亀香合」 をはじめ、稀代の逸品を収集しました。
 藤田美術館は、傳三郎氏と、長男平太郎・次男徳次郎両氏の2代3人による収蔵品を公開するために、昭和29年(1954) 大阪市に開館しました。 仏教美術と茶道具に限らず、絵画、墨蹟、漆工、金工、染織など多岐にわたる収蔵品は、文化国家として美術品を広く公開することを目指し、系統だてて収集を行った傳三郎氏の高い志がうかがえます。 量のみならず質的にも充実した2,111件の収蔵品は、天下の名碗 「曜変天目茶碗」 など9件が国宝に、52件が重要文化財に指定されています。

 幕末の天保12年(1841)、藤田傳三郎は長州萩(現・山口県萩市) の造り酒屋に生まれました。 当時の萩といえば、吉田松陰や高杉晋作、桂小五郎(木戸孝允) ら幕末の志士たちを送り出した地として知られ、傳三郎も20代後半にこの町で明治維新を迎えました。
 維新後、国事に奔走した同志の多くは官職に就きましたが、傳三郎は商工業に従事し、民間の立場で日本近代化の一翼を担う決心をします。 大阪に出た傳三郎は、陸軍関係の装備や物資、労働者の手配に始まり、鉄道敷設、トンネルや橋梁の建設、干拓、疎水工事、鉱山の操業など、さまざまな事業を手がけ、関西屈指の実業家となりました。
 傳三郎は、成功で得た人望や社会的地位から、自らの事業のほか、阪堺鉄道 (現・南海電気鉄道) や大阪紡績会社 (現・東洋紡績)、宇治川電気 (現・関西電力) など、多くの新会社設立にも関わりました。 さらに社会文化事業では、大阪商法会議所(現・大阪商工会議所) の創設や大阪日報 (現・毎日新聞社) の再興に携わり、学校教育に対しても多額の寄付を行ないました。


会期: 2015 8/5(水)~ 9/27(日)展覧会は終了しました。
※作品保護のため、会期中展示替えを行います。
休館日:毎週火曜日 ※ただし 9月22日は開館
開館時間:10時~18時
※金・土、および 9/20(日)~22(火・休)は20時まで開館
※いずれも入館は閉館30分前まで ※shop x cafe は会期中無休

会場:サントリー美術館 六本木・東京ミッドタウン ガレリア3階
巡回展 福岡会場:福岡市美術館 '2015 10/6(火)~11/23(月・祝)
福岡巡回展は終了しました。



'2015 8/4 プレス内覧会の会場風景です。 画像をクリックすると大きな画像でご覧いただけます。

藤田美術館の至宝「国宝 曜変天目茶碗と日本の美」展

「藤田美術館の至宝 国宝 曜変天目茶碗と日本の美」展
プレス内覧会 & プレス説明会
サントリー美術館 '2015 8/4


紫式部 が見た、 道長 の栄華。

「展示構成」
本展覧会 「藤田美術館の至宝 国宝 曜変天目茶碗と日本の美」 図録および 「News Release No. sma0011」 「Newsletter vol.256」 より抜粋して掲載しています。

「展示構成」
第1章 傳三郎と廃仏毀釈
第2章 国風文化へのまなざし
第3章 傳三郎と数寄文化
第4章 茶道具収集への情熱
第5章 天下の趣味人


《千体聖観音菩薩立像》

第1章 傳三郎と廃仏毀釈
 明治維新という革命は日本を急速に近代化させ、傳三郎も富の恩恵を得ましたが、その一方で、政府の欧化対策は日本の伝統文化の崩壊をもたらしました。 傳三郎は、廃仏毀釈よる仏教美術品の破棄や海外散逸の危機からの文化財保護に努めました。 本章では、廃仏毀釈で廃寺となった奈良・内山永久寺伝来の国宝 「両部大経感得図」 や薬師寺伝来の国宝 「大般若経」 など、藤田家に伝わった宗教美術の優品のご紹介です。

・9拡大 《千体聖観音菩薩立像》 木造 漆箔 彩色 50軀のうち5軀 平安時代 12世紀
総高50.0以内 藤田美術館蔵
 「興福寺千体仏」 とも呼ばれる木彫像で、藤原氏が奉納したと考えられます。 一体ずつ異なる容姿などから、複数の仏師によって作られたと思われます。 部分的に金箔や彩色が残り、小振りながらも、優美な雰囲気の平安時代らしい仏像です。


《歌仙切》後醍醐天皇宸翰

第2章 国風文化へのまなざし
 平安時代、遣唐使廃止の頃になると日本独特の国風文化が広まり、雅な貴族社会の優美な仮名文字の登場は、日本人に表現の自由を与え、日記や和歌、物語など、文学の発展にも大きく貢献しました。 巻物や屏風や掛軸など、多くの文物が中国に由来しますが、日本では巻物の形式が独自の発展をとげ、物語を描く日本オリジナルの絵画へと進化しました。 本章では、傳三郎の古美術を愛好し、系統だてて網羅的に収集した、中世の和様の書や絵巻の名品を鑑賞します。

・46 《歌仙切》 伝 後醍醐天皇宸翰 紙本著色 双幅 室町時代 14世紀 27.0 x 40.0
藤田美術館蔵
 後醍醐天皇が文字を記したと伝わる三十六歌仙絵巻を切り離し、双幅に仕立てた源 朝臣信明と大中臣能宣の部分です。 衣を描く線は、力の入った部分に山形が表れる独特の筆線が用いられており、この歌仙絵の特徴となっています。


《銹絵染付掻落絵替汁次》尾形乾山

第3章 傳三郎と数寄文化
 明治維新の変革のなか、やがて勃興した政財界人が新たな茶の湯の数寄文化を流行させました。 傳三郎も武者小路千家流と表千家流を学び修め、茶の湯を趣味とする近代数寄者の一人として、同郷の井上馨や三井物産の創始者・益田孝 (鈍翁) たちと社交を重ねました。 本章では、茶掛として珍重された墨蹟や中国の宋元画、またそれに倣った日本の水墨画など、傳三郎たちが床の間に掛けて楽しんだ名品を鑑賞します。

・(右)47拡大 重要文化財 《大燈国師墨蹟 偈語》 紙本墨書 1幅 鎌倉時代 14世紀 33.6 x 74.5 藤田美術館蔵
 大徳寺の開山である禅僧 大燈国師が、七言絶句で偈という漢詩を描いたものです。 力強く堂々とした字は、迫力だけでなく風格をも感じさせます。 「龍寶山」 は大徳寺の山号で、書かれた年代が推測できる貴重な物です。


《銹絵絵替角皿》尾形乾山作 尾形光琳画

第4章 茶道具収集への情熱
 傳三郎の温厚な人柄は、人望だけでなく、茶道具の名品をも引き寄せたようです。 傳三郎は亡くなる10日前に、終生手に入れたいと熱望していた稀代の名品 「交趾大亀香合」 を念願叶い手にしたという逸話がありあます。 さらに子息たちも、長男・平太郎が天下の名碗 「曜変天目茶碗」(国宝) を次男・徳次郎が 「御所丸黒刷毛茶碗 銘夕陽」(重要文化財) などを収集しました。 本章では、傳三郎たちが収集に情熱を傾けた茶道具の名品を鑑賞します。

・109拡大 重要文化財 《銹絵絵替角皿》 尾形乾山 作 尾形光琳 画  全10枚
江戸時代 18世紀 高3.0 縦22.0 横21.8 藤田美術館蔵
 兄光琳が絵を描き、弟乾山が焼いた兄弟合作の名品です。 少ない描線の絵は特徴を巧みに捉えた、光琳らしい表現です。 角皿が色紙に見えるよう、素地に白化粧を施し、乾山が賛や落款などを書き添えました。



公益財団法人 藤田美術館大阪市都島区網島町 10-32 TEL: 06-6351-0582

 JR大阪城北詰駅を降りてすぐ、滔々と流れる大川 (旧淀川) の畔に、風雅な庭園が広がっています。 緑濃い樹々、築山、池、水の流れ……ひと巡りするうち心が落ち着き解放されるような空間は、明治時代の実業家 (旧男爵) ・藤田傳三郎(1841~1912) の御屋敷の一部で、現在は 「藤田邸跡公園」 として大阪市民の憩いの場となっています。 網島町は、かって近松門左衛門の人形浄瑠璃 「心中 天網島」 の舞台となった。

 当時、川の清流には船が行き交い、大阪城を南に仰ぎ見、商人や文化人の屋敷が建ち並んでいたというこの一等地に、傳三郎は広大な敷地を得、本邸と、集めた美術品を収めるための蔵13棟を建て、さらに3人の息子のために土地を買い増していったそうです。 本邸は戦災で全焼してしまいましたが、類焼を免れた蔵が改装され、藤田美術館の展示室となっています。 さらに、現在は隣り合う別々の施設である旧大阪市公館、広大な回遊庭園のある宴会場・太閤園まで含めた一帯、総面積約5万3千平方メートル(1万6千坪) に、藤田家の3つの屋敷が広がっていた……と言えば、傳三郎が手がけた事業の規模や彼の存在感がイメージできるでしょうか。

 藤田美術館は明治時代に活躍した実業家・藤田傳三郎と長男・平太郎、次男・徳次郎が、明治から大正時代に収集した東洋美術を保存、展示しています。 藤田家の 「かかる国の宝は一個人の私有物として秘蔵するにあらず、広く世に公開し、同好の友とよろこびを分かち、またその道の研究の資料にせまほしく」 との願いから、社会文化の向上発展に寄与する目的で昭和29年(1954) に開館しました。 現在は国宝9件、重要文化財52件を含む、2,111件の美術品を収蔵しています。

 美術館の庭には東大寺東塔や7世紀に建てられた山田寺金堂 (奈良県桜井市) の礎石など点在しています。 隣接する藤田邸跡公園、次男徳次郎の邸宅跡である太閤園は、当時の庭園の雰囲気を残しながら整備され、豊かな緑の中で季節の花を楽しむことができます。 平成25年(2013) には公益財団法人へと移行し、毎年春と秋に収蔵品による企画展示を行っています。


お問合せTel:03-3479-8600
サントリー美術館公式サイト:http://suntory.jp/SMA/
主催=
サントリー美術館、朝日新聞社
特別協力=公益財団法人藤田美術館、藤田観光株式会社

協賛=大伸社、三井不動産、サントリーホールディングス
   協力=日本HP
サントリーホールディングス株式会社は公益社団法人サントリー芸術財団のすべての活動を応援しています。


参考資料:NEWS RELEASE No.sma0011、Newsletter vol.256、「藤田美術館の至宝 国宝 曜変天目茶碗と日本の美」図録、他
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